須賀神社すがじんじゃ


 春日町の市道北循環線(城北通り)で一部参道が切られ、歩道に接して鳥居があります。道路反対側に石灯籠が残っています。
 田原谷にあった風土記所載の田原社は、田原神社(春日神社)に遷座後も地元で本宮神社として祀られ、その後須賀神社に合祀されたようです。  

 「創立年代不詳。旧記によると当社は旧称勝天王社又は午頭天王と称え奉り、往古本村住人吉岡長左衛門なるもの播州明石浦廣峯より勧請し奉れりと云う。・・・合殿本宮神社は祭神天児屋根命は出雲風土記所載の田原神社に坐す。即ち本村字田原の丘上に御鎮座にして一に春日大神と称し当地を春日と呼ぶは即ち此の神座す故という。然るに・・・松江城築造せられし際該城の鎮護として奥谷村宇賀神社境内に遷座し、茲に於いて本来の神祠は即ち田原神社の元宮たるの故を以て其まゝに本宮神社と改称し依然本村の中央至尊と仕え奉りき。後延宝四年に至り維持困難の事情あるを以って村内鎮座天王社即ち現今須賀神社へ合祀した。同社の旧地は田原の地内にて今猶本宮と云う。」(神国島根)

 「午頭天皇 本宮大明神 天皇は素盞鳴尊、本宮明神は天児屋根尊命なり、二神相殿に祭る、・・・本宮明神は古老の傳に云、古此処に春日明神鎮座し給えり、奥谷村天明山今の春日山に勧請して氏神となすなり、其舊き跡なるによりて本宮とは云なり、延宝年中舊き宮地より爰に移して天王と合せ祭りて二座とはなすなり」(雲陽誌)

 「田原社の旧社地は田原谷で、松江築城の際に奥谷村の宇賀神社境内に遷座されたのが春日神社である。これが田原神社と呼ばれるようになった、一方、遷座後も田原谷で村人の祭祀は続き、その旧田原社を本宮神社と呼ぶようになった。本宮神社はその後春日の天皇社に合祀され、本宮神社は廃社となった。天皇社はその後須賀神社と改称された。」(出雲神社探訪)

 【雀部稲荷神社】
 「本殿後ろに、雀部ささべ稲荷神社が境内社として祀られている。元の社地は、浜佐田上の椎池から国屋に越す地名を堂土といい、堂土池の近くの道路北側の斜面にあった。この道を地元浜佐田では、通称雀部越しと呼んでいた。江戸時代末期頃のものと思われる浜佐田絵図に稲荷社と鳥居が描かれている。」(神社説明文)
 「江戸末期頃の浜佐田の『古絵図』・・・に雀部稲荷神社が記されている。この神社は笹部越しの国屋側南斜面(※南向き)にあったので、地名の由来となったものである。」(地名が語る生馬の里)

 出雲風土記:田原社たわらのやしろ
 延喜式:
 主祭神:須佐之男命すさのおのみこと
 配祀神:天児屋根命あめのこやねのみこと
 境内社:稲荷神社、幸魂神社

 所在地:松江市春日町385
 訪問日:2021年3月27日


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社名碑

手水鉢

手水鉢寛政六年の石灯籠

拝殿扁額本殿

本殿後に境内社がある。稲荷社稲荷大明神(雀部稲荷神社)

神楽殿境内の全景




松江の神社