田原神社 |
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古い住宅地の間の路地を突き当たった丘の上にあり、春日神社とも呼ばれています。 戦国時代に春日町の田原谷池の近くにあった田原社が兵火にあい、現在の奥谷町へ移り春日大明神と呼ばれ、その後松江城築城時に宇賀玉神を現春日神社の境内に合祭し、後に田原神社と称したということのようです。また旧田原社は、奥谷町の春日神社に遷座後も地元で本宮神社として祀られ、その後春日町の須賀神社に合祀されたようです。 「田原社は現社地より約五百米北方、法吉郷春日村田原に鎮座していたが、尼子、毛利の白鹿城攻防戦の兵火に遭い、現在地に仮宮を営む。西殿は亀田山へ築城に際し、同山中の「三所荒神」を現在地へ奉遷した。かくて、松江開府とともに現在の春日比翼造二社殿が竝立するにいたった。・・・旧くは春、北山から白鹿が出現するときを祭日とし、祭日は「不定」であった。」(神国島根) 「春日大明神 宇賀玉神 ・・・近代宇賀玉神を此地に祭る、久しく島根郡亀田山に鎮座し給う、慶長年中堀尾高階吉晴雲州を領す、亀田山に天府の嘉兆あるをみて能義郡富田より本城を亀田に移し、百世繁栄の鴻基を開く、此時神祠の地を以て一城を経営せんとす、・・・亀田の神宇を春日の餘地に移し奉る、今の宇賀玉神祠、是なり」(雲陽誌)
出雲風土記:田原社
所在地:松江市奥谷町122 |
一の鳥居 | 鳥居の扁額には春日神社とある。 | |
社名碑には田原神社とある。 | ||
二の鳥居 | 嘉永三年の石灯籠 | 干支の石像を載せた石灯籠 |
今年は辛丑 | 三の鳥居 | |
手水舎 | 手水舎の隣の若宮宮、天満宮、愛宕社 | |
東側の石橋町の歳徳神 | 金比羅神社、天神社、開運稲荷社、幸神社 | 社殿背面の望東稲荷神社 |
東を向いている。 | 随神門 | 境内の様子 |
拝殿 | 扁額 | 拝殿の内部の扁額 |
2殿併立、東側の本殿 | 西側の本殿 | 八幡宮、番匠祖神社、武内社 |
水神社 | 紺姫社、梅宮社、福神社 | 本殿裏の林の中にも荒神、小祠がある。 |
荒神か? | 小祠 | 社日か? |
北堀町の歳徳神 | ||
神饌殿 | 鹿の石像 | |
旧社地の元田原谷池周辺 | ||
石灯籠上の干支の石像 子 | 丑 | 寅 |
卯 | 辰 | 巳 |
午 | 未 | 申 |
酉 | 戌 | 亥 |