多気神社 |
---|
朝酌からの山越えの道路と沿岸の県道260号の交わる角にあります。 「『多気社』に関しては論社があり、『上東川津の布自伎美神社の境内に祀られている多気神社』と『上宇部尾の多気神社』とが候補として上がっている。」、「『烽』が設けられた段階で山麓の現・嵩集落の字・平林の田中の旧・竹宮跡に遷座し、後に三代保朗氏宅に隣接した荒神の森へと遷ったと考えられる。大正十一年頃に火災に遭い、現在のように中海を臨む津守神社に合祀され、社名を多気神社として今日にいたっている。」(出雲国風土記註論) 「当社は延喜式内社である。従来当社には村社竹宮神社と無格社津守神社の二社があり、竹宮神社は元多気社と称していた。天文年中より多気を竹の字にかりて竹宮と称えていた。同神社は女岳の山麓にあって参拝に不便の為明治三十九年神社整理協議の結果津守神社を竹宮神社に合併の上、更に津守神社跡地に鎮祭(明治四十一年五月三日)し社名を村社多気神社と復旧した。」(神国島根) 雲陽誌に、「竹宮明神 火酢芹命なり」、「津守明神 経津主命なり」とあります。 「上宇部尾町には多気神社が鎮座するが、本来は嵩山山頂にあったものを山麓の田中の旧・竹宮跡に遷座し、後に荒神の森へと移った。さらに、津守神社に合祀され、社名を多気神社とした。(出雲神社探訪) 地元の方の話では、上記の荒神の森の南の谷の水田の中に、「たけみや」という字名が残っており、そこに神社があったという。
出雲風土記:多氣社
所在地:松江市上宇部尾町332 |
社名碑 | ||
平成十一年の狛犬 | 手水鉢 | |
平成二十六年の狛犬 | 拝殿 | |
拝殿內部の扁額 | 本殿 | 荒神 |
荒神 | 天満宮・日御碕神社 | 歳徳神 |