新宮神社跡 |
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下東川津町祖子分で「新宮神社跡」を尋ねると、「神社跡はわからないが、祖子分公会堂の谷を入って、二軒めの家の手前から山へ登ると、『えなーさん』がある。」と教えていただきました。新宮神社は、明治四十年に布自伎美神社に合祀されています。 畑の脇の径を山へ入ると、左側の竹やぶの中に、大きな手水鉢や多数の古い瓦が積まれていました。その脇を登っていくと分岐があり、直進は北の谷へ下るようです。右の尾根を上がっていくと、斜面の径には踏石が残っています。やがて峠に着くと、左に稲荷神社が見えました。 山への入口にあった手水鉢や瓦は少し新しい感じもしましたが、ここが新宮神社跡地ではないかと思いました。しかし、近くの家で尋ねると、「そこは、うちの屋敷跡だ。神社跡は峠の稲荷神社の少し右手前の山の中にあったと聞いている。礎石だけが残っている。」とのことでした。 峠の少し手前に右の林内へ踏み跡のようなものがあり、入ってみました。広い平場があり、その奥の尾根の崖下に、方形に盛り上がって四隅に石を並べたような形状の場所があり、ここが跡地ではないかと感じました。 雲陽誌に、「熊野三社権現 事解男命速玉男命伊弉冊尊をまつれり」とあります。 「『中組佐吉兆』に『新宮社(イザナミ之命、ハヤタマオ之命、コトサカオ之命の三神、之は元中組普賢寺山に鎮座せるを明治中期に下川津祖子分に移転し、氏神として祭ったもの、明治末期布自伎美神社に合祀す』」(川津郷土誌) 出雲風土記:延喜式: 主祭神:事解男命、速玉男命、伊弉冊尊 境内社:
所在地:松江市下東川津町祖子分 |
はで木小屋の手前から径がある。 | 入口すぐ右に宅地跡がある。 | |
広い山径を上がる。 | 分岐を右へ行く。 | 尾根道を登っていく。 |
踏石が残っている。 | この先が峠になる。 | 峠の左に稲荷神社がある。 |
峠の手前から林内へ入る。 | 崖下に方形に盛り上がった場所がある。 | 四隅に礎石状の石がある。 |