真名井神社まないじんじゃ


 茶臼山の南側の麓にあります。水田の中にあった参道の松並木は枯れてしまいましたが、また新しい道路に復元されています。出雲風土記には、神祇官社に眞名井社、不在神祇官社に末那為社が載っており、神祇官社が本社にあてられ、不在神祇官社は境内社があてられています。眞名井社は、元は近くの真名井の滝にあったとされます。

 今の真名井神社は、元は伊弉諾社であり、真名井の滝の近くにあった小社が風土記の「真名井社」で、境内に遷され「末那為神社」とされ、滝から200mほど北の荒神が風土記の「末那為神社」の旧社地ではないかとされています。

 「真名井の滝 古来、滝を祭る神社が滝の近くにあり、出雲国風土記に真名井社とあるのはその神社だと思われる。後世、稲荷信仰に結びついて稲荷神社となり、伊弉諾社の末社となった。」(竹矢公民館パンフレット)

 「社殿は本殿、中門、拝殿、神楽殿、境内社から成る。本殿は大社造り檜皮葺きで周囲に透塀をめぐらす。祭神は伊奘諾尊、天津彦根命(山代直の祖)。当社は出雲国風土記にいう「真名井社」延喜式に記す「真名井神社」で古い歴史もつ意宇六社の一社である。背後の山は神名樋山で出雲国内四神名樋山の一つで東南麓に真名井の滝を存す。中〜近世は「伊弉諾社」として知られていたが明治以降は旧号に復し村社に列せられていた。現本殿は、寛文二年(一六六二)の軸立で、内殿は正面に向かっている。殿内には彩色絵がある。拝殿は昭和九年に新築された土間床造り。境内社には末那為神社(向かって右)児守神社(向かって左)宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀してある。なお、神紋は二重の亀甲に「有」の字。祭日は十月十日である。」(境内案内板)


 「伊弉諾社 寛文元年(1661)秋七月池魚の災有て正殿末社まで灰盡故に社記神寶悉亡今の本社二間四方 ―略― 太守源直政公の造営なり、・・・ 社地に高守神社兒守神社瀧若宮を祭各小社なり」、「眞名井荒神 本社より六町東にあり、風土記に載る眞名井社是なり」(雲陽誌)

 「眞名井神社 風土記に真名井社とあり、山代村にあり、眞名井瀧というあり、伊弉諾社より五町東なり、是は高天原なる天眞名井をうつしたる也、今年毎の新嘗祭の御饌に此水を用いらる、其井の邊に小社あり、是眞名井神社なり」(出雲国式社考)

 「加藤義成氏は、・・・結論として『眞名井社』を「真名井滝の神社』、『末那為社』に関しては・・・『滝の北一町の所にある荒神』を充てる。」、「現在の真名井神社は根源的には『伊弉諾社』であり、明治初年に式内社『眞名井神社』、すなわち風土記の『眞名井社』として登録されたものと思われる。」(出雲国風土記註論)

 出雲風土記:眞名井社まないのやしろ末那為社まないのやしろ
 延喜式:真名井神社
 主祭神:伊弉諾尊いざなぎのみこと天津彦根命あまつひこねのみこと
 合祀:宍道若宮社、山代神社、荒神社
 境内社:児守神社、末那為神社

 所在地:松江市山代町84
 訪問日:2021年1月14日、2月22日


真名井神社

長い参道の石段拝殿

拝殿は土間で壁がない。本殿本殿入口

児守神社(本殿の左)末那為神社(本殿の右)神楽殿

復元された参道の松並木




真名井の滝

滝から西に向かって径がある。

真名井神社の参道脇に続いている。



松江の神社