焼火大権現・金刀比羅宮たくひだいごんげん・ことひらぐう


 焼火社は、「きまち書留帳」に「『氏神』も上の『伊勢宮』、下の『焼火社」から中の『天満宮』中心になった。」とあり、菅原天満宮より下(北)にあったと思われます。資料の地図を見ると、元農道付近に焼火山という山があり、近所で尋ねると、「山の上に焼火権現と刻まれた石と、金刀比羅宮がある。」とのことでした。また、「以前は山の南側から道があったが崩れたので、北側から道をつけてある。」とのことでした。

 宍道町史の伊勢宮の項に、「焼火神社(飛地境内社)」とあるのは、この焼火大権現ではないかと思われます。

 元農道側に回ってみると、会社の裏から山への道が上がっていました。植林地に入ると一瞬道が見えなくなりますが、右へと上がっていくと、すぐ頂上に出ます。上がったところには、小さな社があり、丸に金の神紋があるので、こちらが金刀比羅宮と思われます。細い尾根の奥に大きな立石があり、焼火大権現と刻まれ、注連縄が張ってありました。

 出雲風土記:
 主祭神:
 合祀:
 境内社:

 所在地:松江市宍道町上来待
 訪問日:2023年2月22日


宍道町上来待
南側からの焼火山

北側(元農道側)
 
林内へ入って右へ上がる。



 
頂上に上がると、すぐ社がある。



金刀比羅宮
 
細い尾根の奥に立石がある。

焼火大権現




松江の神社