焼火大権現・金刀比羅宮 |
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焼火社は、「きまち書留帳」に「『氏神』も上の『伊勢宮』、下の『焼火社」から中の『天満宮』中心になった。」とあり、菅原天満宮より下(北)にあったと思われます。資料の地図を見ると、元農道付近に焼火山という山があり、近所で尋ねると、「山の上に焼火権現と刻まれた石と、金刀比羅宮がある。」とのことでした。また、「以前は山の南側から道があったが崩れたので、北側から道をつけてある。」とのことでした。 宍道町史の伊勢宮の項に、「焼火神社(飛地境内社)」とあるのは、この焼火大権現ではないかと思われます。 元農道側に回ってみると、会社の裏から山への道が上がっていました。植林地に入ると一瞬道が見えなくなりますが、右へと上がっていくと、すぐ頂上に出ます。上がったところには、小さな社があり、丸に金の神紋があるので、こちらが金刀比羅宮と思われます。細い尾根の奥に大きな立石があり、焼火大権現と刻まれ、注連縄が張ってありました。
出雲風土記:
所在地:松江市宍道町上来待 |
宍道町上来待 南側からの焼火山 |
北側(元農道側) |
林内へ入って右へ上がる。 |
頂上に上がると、すぐ社がある。 |
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金刀比羅宮 |
細い尾根の奥に立石がある。 |
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焼火大権現 |