伊勢宮いせみや


 売布神社の東側の県道21号(新大橋通り)(元伊勢宮川)を挟んだ東側にありましたが、明治7年(1874)の大火で消失し、明治32年(1899)に売豆紀神社に合殿されています。
 江戸時代の松江城下絵図を見ると、白潟宮(現売布神社)の東の伊勢宮川を挟んで、同規模の敷地を持つ伊勢宮が描かれています。

 「伊勢宮は明治7年(1874)に焼失し(『松江市誌』)、明治 32 年(1899)に売豆紀神社に合殿された。」(『松江市史』から読み解く「大橋川」と「大橋」の名称由来(1))

 「内宮外宮相殿末社の神を祭、毎年九月十六日千度の祓四季の神事あり、太守源直政公此神を崇敬したまう、故に諸臣等寛永二十一年太神宮を此に勧請し、本社拝殿瑞籬鳥居を新に造立し、神風内外におこり祭祀勢州をしたふ、社邊老松あり左右も又喬木おほし、」(雲陽誌)

 出雲風土記:
 延喜式:
 主祭神:天照大御神・豊受大御神・倭媛命
 境内社:

 所在地:松江市伊勢宮町
 訪問日:2022年4月30日


伊勢宮町
道路の右が売布神社
売布神社の反対側にあった。 南側からの様子




松江の神社