賣豆紀神社めづきじんじゃ


 国道9号の売豆紀交差点から南へ路地を入ると、突き当りに神社があります。旧社地は西津田で、寛文七年(1667)に現社地に遷っています。
 合殿の伊勢宮は、元伊勢宮町にあり、明治7年の雑賀町大火によって全焼した伊勢宮を遷したものです。
 西津田にある旧社家の売豆紀家には、今でも「賣豆紀社元宮」が祀られています。

 「古くは西津田の売豆紀わきに鎮座されていたが、荒廃はなはだしく、寛文七年(1667)現社地に遷座された。」(雑賀の今昔 寺社編)

 「神社の創立延喜式神名帳、出雲風土記に載せられた古来著名な社である。主祭神下照比賣命は大国主命の第三の女神にあらせられ、父神の国土経営をたすけ給い、偉大なご功績を樹てられ、又和歌の祖神とあがめられたことは、古事記日本書紀、及び古今和歌集序文等に記載されているところである。」(神国島根)

 「賣豆紀社 下照姫命なり、何年爰に鎮座することをしらずといえども、【風土記】【延喜式】に載る所故あるかな、本朝の霊神和歌の鼻祖なり、胎妊の婦祈ときは即安産す、故に朝参暮詣おこたる事なし、・・・祠官かたり侍は毎歳十月諸神此國佐陀の宮に會したまう時、先此社に来又此所に帰たまう諸神に目をつけたまうゆえ目付明神と申なり」(雲陽誌)

 「・・・寛文七(1667)年に遷宮したという。尚、その旧社地は西津田町字「目つき」であり、旧・社家の売豆紀家もあるという(『津田・古志原郷土誌』)。尚、その旧社地には元宮の祠があると聞いている。字「目つき」は現在の前田池の付近と思われる。前田池横の松月庵の境内の石碑に奉建者「売豆紀□」の名を確認できる。」(出雲国風土記註論)

 出雲風土記:賣豆貴社めづきのやしろ
 延喜式:賣豆紀神社
 主祭神:下照比賣命したてるひめのみこと
 合 殿:伊勢宮(天照大神、豊受比賣命、倭媛命)
 境内社:八幡宮、(番匠祖、霊稲荷、瘡守稲荷、愛敬稲荷、日除稲荷、直毘稲荷、稲荷、愛敬荒、日除荒、田中荒、鹿島、金刀比羅、笠森、粟島、道祖、隅御前、田中、國魂、金屋子、武内、蟻通、朝日金屋子、以上「神社」を省略)、天満宮

 所在地:松江市雑賀町1663
 訪問日:2021年5月3日


社名碑手水舎

随神門拝殿本殿

右の境内社 24社を合祀した八幡宮新出九一郎作の出雲式狛犬病気平癒・諸災祓い除の唐獅子灯籠

左の境内社日碑伊勢神宮・皇居・明治神宮遙拝所

御神木のタブノキ文久二年の石灯籠社務所

境内の全景




松江の神社