賣布神社 |
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和多見町の大橋川の川岸にあります。古くは、宍道町来待の鏡あたりにあり、湖岸の変遷により、そこから東へ移っていったと考えられています。 「主祭神、速秋津比売神の御鎮座は、神代においてその御孫神の櫛八玉神が、御祖神として、又、祓戸神、水戸神としてお祀りなされたのに始まっている。本殿相殿の三神は第二十代安康天皇御宇二年八月朔日勧請と旧社記にみえる。」(神国島根) 「当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫大明神」とも称され、水郷「松江」の産土神として鎮座しました。」(神社御由緒) 「ともかく『売布社』はかつては現位置より西寄りにあったと考えて間違いないであろう。尚、『きまち書留帳』は鏡地区の灘の向鏡(むこかがみ)に注目している。但し、売布神社で伺った話では同社には鏡地区との特別な関係を語る伝承はないという。また同社では旧社地は遥拝する円成寺付近であったと言い伝えている由である。」(出雲国風土記註論) 「白潟明神 速秋津姫命をまつれり、【延喜式神名帳】【風土記】に載る賣布社是なり、世人橋姫の宮という、何時爰に垂跡する事をしらず、文禄年中吉川廣家建立の棟札あり」(雲陽誌) 「延喜式の順序で玉作湯神社ー同社坐韓国伊太氐神社ー賣布神社ー来待神社なので、これらの位置関係を考えると宍道町あたりにないといけない。『きまち書留帳』には鏡神社と売布神社との関係が書かれてあるという。」(出雲神社探訪) 「鏡神社の御神体の『玉』を盗んだが、売れなかったので、盗人が『売布神社』に奉納した話や、鏡地区で『白兎』を捕らえたが、『兎は鏡神社の使」と知り、売布神社に奉納した話がある。また、「(売布神社は)灘近くにあったと思われる。水上の神とされる「向鏡」あたりにあったのではなかろうか。北廻谷の北に当る所に神社跡として地区共有地がある。二、六五九番地である。附近には荒神さんが多い。すなわち、附近は住人の多かった地区と推定できる。」(きまち書留帳)
出雲風土記:賣布社
所在地:松江市和多見町81 |
随神門 | ||
手水舎 | 社務所 | 拝殿 |
右の境内 | 本殿 | 常光神社 |
榎荒神 | 船霊社 | |
金比羅社 | ||
和田津見社 | 導祖社・厳島社 | 大松荒神 |
恵比寿社 | ||