秋鹿神社あいかじんじゃ


 宍道湖沿いの国道から北へ進み、広域農道との交差点から200mほど北にあります。

 「秋鹿神社は奈良時代には長江にあり、いつの頃かわからないが御井神社が合祀されて『姫二所明神』となり明治時代に國司神社に合祀されたことになる。一方井神に新しく秋鹿神社(または姫二所大明神)が建立され、その後現在地にと変遷したことになる。(ふるさと秋鹿の地名と神々)

 「祭神は秋鹿日女命。出雲国風土記には秋鹿社とあり、郡家の北にあったと記され、秋鹿の地名の起源となった神社です。」(秋鹿公民館パンフレット)

 「雲陽誌に『姫二所大明神 風土記に載る秋鹿社 是なり』とある。―略―
 御井神社は延喜式内社であったが、中古、社が衰頽して秋鹿神社に合祀された。社号を『姫二所大明神』と称する故は、秋鹿日女命と罔象女命二柱の女神が鎮座されている所以である。―略―
 八幡宮は秋鹿川の河畔に鎮座されていたが、ある時洪水でお社が境内地とともに流されたために秋鹿神社に合祀されたが、その年代は不詳である。貞享三年の丙寅八月の棟札には、『奉建立 八幡大神 秋鹿日女命 天長地久祈所』とある。」(境内説明書き)

 「『出雲国風土記考證』には、「秋鹿社は、もと井神谷の宮崎にあったらしい」とある。・・・現地の人に聞いて現社地の東隣の井神谷に行くと、旧社地が残っており祠が祀ってあった。」(出雲神社探訪)

 御井社について
 「現在、御井神社は無く秋鹿神社に合祀されている。しかし、『出雲神社巡拝記』には佐陀大社の境内田中二所明神社に合祀されているとする。また、『出雲国風土記注解』には、長江の井神谷から秋鹿社から五十間許の泉の上に移され、今は秋鹿神社に合祀されているとする。秋鹿神社宮司によれば秋鹿神社から百メートルばかり南の民家裏の湧水が元の位置らしい。しかし、延喜式の記載順によると、―略― おそらく佐太神社の近くにあったものが田中神社に合祀された後、秋鹿神社に合祀されたのだろう。」(出雲神社探訪)

 神社から南へ100mあまりの田んぼの中に樹木に囲まれた民家があり、その裏の東側に石柱が並んでいる。この場所が上記の御井神社の跡ではないかと思われる。

 出雲風土記:秋鹿社あきかのやしろ
 延喜式:
 主祭神:秋鹿日女命あいかひめのみこと
 配祀神:誉田別命ほんだわけのみこと(八幡宮)、罔象女命みずはのめのみこと(御井神社)
 境内社:若宮神社(西側)、八坂神社(西側)、國本神社(東側)、秋葉権現社(後方)、稲荷社(後方)、社日塔(後方)

 所在地:松江市秋鹿町2853
 訪問日:2021年2月14日


手水舎

随神門

神楽殿斎館

拝殿大正十年の石灯籠三枚の扁額

本殿後方の境内社

秋葉権現社稲荷社社日塔

西側境内社 若宮神社、八坂神社東側境内社 國本神社



神社から南へ約100m民家裏の東に石塔がある。反対側から 御井神社跡地か?

古い墓石のようだが




松江の神社