東照宮とうしょうぐう


 西尾町の市立女子高等学校の敷地にあったようです。

 圓流寺、「八束郡西尾にあり。松江の東方、約一里、東照宮と共に堀尾忠晴の創立にして松平氏に至り、結構壮麗となりしが、明治維新後は社殿荒廃に帰せり。されど寺は、なお在して、その庭園を探芳園と称して茶人、詩客のの杖を曳くもの少なからず。(明治41年島根県遊覧案内)
 明治32年、境内にあった東照宮(家康を祀る神社)は、城山の松江神社に合祀された。現在の松江女子高の場所にあたるが、この絵葉書の石垣、鳥居、寺院はすでに無い。」(松江絵葉書ミュージアム)

 「同参拾壱年に至り寛永五年時の出雲隠岐両州の太守堀尾山城守忠晴公の勧請にかかる郊外西尾に鎮座の東照宮を合祀し同三十二年現在の地に奉遷して社号を松江神社と改む。」(神国島根 松江神社)

 「松平直政(松江松平家初代藩主)を主祭神とし、徳川家康(東照宮)を合祀神とした松江神社の創建はやや複雑である。現在、松江市立女子高等学校が建つ松江市西尾町の丘陵には、寛永 5 年(1628)、堀尾忠晴によって徳川家康を祀る東照宮が建立され、その別当寺として照高山圓流寺が置かれた。圓流寺は徳川家光ら歴代将軍の位牌所でもあった。藩政期には松江藩内でも有数の高い格式を持つ社寺だったが、明治維新後は藩の庇護を失い、神仏分離も進み衰退していく。一方、藩政期には須衛都久神社(松江市西茶町)に祀られていた松平直政の御霊が、明治維新後は合祭が禁 じられたために、明治 10 年(1877)に西川津村楽山に神社建物を建て、直政の御霊を遷座し、新たな神社は地名により「楽山神社」と称された。その後、東照宮は、維持保存が難しくなったため、明治 31 年(1898)11 月に楽山神社に合祀された。さらに、明治 32 年(1899)に楽山神社を松江城山内に移転する議が起こったことから、東照宮の旧社殿を松江城山内に移築して神社の社殿とし、楽山神社をそこに遷宮し、その折、神社名を「松江神社」と改称した、という経緯があった。」(調査コラム〜史料調査の現場から 第 6 回)

 出雲風土記:
 延喜式:
 主祭神:徳川家康

 所在地:松江市西尾町
 訪問日:2021年10月3日


女子校の西側にある圓流寺

丘陵の圓流寺の境内にあった。




松江の神社