艫田神社 |
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一畑電鉄秋鹿町駅から旧道を西へ400mほど進むと、秋鹿川手前の右側の畑の脇に参道があります。出雲国風土記の同多太社とされますが、諸説あるようです。 「多太神社 境外神社 同多太神社(猿田彦命)」(神国島根) 「『神国島根』によれば、稲背脛命が大己貴命の御使として三穂御崎に通行のとき、熊野諸手船に乗り、猿田彦命がその御船の艫を取ってこの多太郷に着いたことからこの地を字・艫田というそうである。」(出雲神社探訪) 「友田明神 猿田彦命也」(雲陽誌) 「本来、この社は羽鳥大明神の神主北畠氏が兼務するまでは、何ら『同多太社』に結びつく要素はなかったのである。ここで注目すべきは『雲陽誌』秋鹿郡長江項にみえる『多太明神』、古曽志項の『多太大明神』である。さらに重要な点は両社とも祭神は『衝杵等守而留彦』としている事実である。・・・その二社こそ『風土記』の『同多太社』とみなしてまちがいないであろう。・・・残念ながらその『多太明神・多太大明神』は衰退し、現在は姿を消し、何処に所在したのかは確認することはできない。」(出雲国風土記註論)
出雲風土記:同多太社 |
畑と空き地の間に参道がある。 | ||
手水鉢 | ||