照床神社 |
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集落の間の路地を山際へ入ると、鳥居があり参道が続いています。 「照床明神 天照大神なり、・・・慶長十四年修覆の棟札有り」(雲陽誌) 「創立年代御由緒不詳。御鎮座の地を古え寺床と云えりし故を以て慶長以前は寺床神社と称し奉り、寛永年間より照床神社と称し奉る。・・・出雲風土記所載の阿羅波比の社は即ち此丘上に座しましけむを、彼の荒隈築城の為か若くは荒隈白鹿両城対陣の時、丘岡は恰も其の眼下なる故に其潰さん事を恐れてなるかと、現時の社地に奉還せしものたる事疑なし。・・・移転奉遷と同時に其地名を捧げて啻に寺床大明神とのみ称し奉りて、・・・御正号は唱え奉らず、何時しかに亡失して又怪まざりしなるべし。然れども神祠に寺何と称する事の祥わしからざるより後に寺の字を照の字に改めて照床大明神としたのであろう。・・・阿羅波比社亦何時しかに今の地松江市外中原町にも奉斎して、御当社と同号照床社と称せしより御社号上に於ける一種の混乱生じ、我が黒田村に座す社は神社取調の際も猶照床の旧号を継続してあり。」(神国島根) 「阿羅波比神社は現在、外中原町の第一中学校の隣にある。・・・黒田町の照床神社こそ阿羅波比神社とするようである。黒田町か外中原町かどちらが本来の社地かわからないが、照床神社のほうが位置的にもそれらしい気がする。」(出雲神社探訪) 「現状において考えるならば黒田の照床神社は旧社地と考えられる天倫寺山からは二キロほど離れており神社の遷座としては天倫寺山の裏手に当たる外中原の方が蓋然性が高い。」(出雲国風土記註論) 出雲風土記:阿羅波比社
所在地:松江市黒田町64 |
路地を入ると鳥居が見える。 | 社名碑 | |
石段を上がる。 | 上がり切ると石灯籠がある。 | |
灯籠の脇に小祠がある。 | 平坦な参道が続く。 | |
左に社殿がある。 | 狛犬と石灯籠 | |
狛犬と手水鉢 | 拝殿 | |
扁額 | 本殿 | 荒神か? |
神楽殿 | 歳徳神 | 隣地にある神宮寺 |
境内の全景 |