天津神社跡 |
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佐々布岡の目から山中の細い道を上がって行くと、右側に孟宗竹の竹林があり、その奥の植林地の一段高い所に頭部のなくなったお地蔵様が立っています。ここが普門寺のあった場所とされ、ここに天津神社もあったものと思われます。現在は、大森神社に合祀されています。 「大森神社 合祀神社 天津神社(旧社地 佐々布普門寺) 由緒 不詳。普門寺塔中の妙見社として佐々木氏が勧請したとされ、当寺廃寺の後、大森神社に相殿とされたが、元禄年中(1688〜1704)、小豆沢、高橋家の有信者が中心となり、再び普門寺山に遷座と伝える。明治維新の際、天津神社に改称する。(宍道町史) 「天津神社 祭神 国常立尊 当社は元村内普門寺の鎮守妙見社にて三百年以前同寺衰廃し祭神は村内大森神社へ合祭し有るを村内農小豆澤善蔵と申者の祖先自分持山を以て右普門寺廃跡に交換し信徒を集め元禄年間に再建し妙見宮は佛号たるを以て天津神社と改号す 昭和十四年八月十五日抹消 合祀」(神社明細帳)
出雲風土記:
所在地:松江市宍道町佐々布普門寺 |