内神社うちじんじゃ高野宮たかのみや


 一畑電鉄高ノ宮の駅の西から北へ向かう道の脇に、一の鳥居があり、ここから参道が直線状に北に向かっています。山の麓からは、車道もありますが、林の中に古い参道が残っていて、神社の石段の前の道路下の石段に続いています。地元では、高野宮と呼ばれています。

 約1290年前の霊亀元年(715)当宮の北側に聳立つ「女嵩山」の峰に、夜々月輪の如く光を放つものがあり、村人達神の降臨に違いないと、神垣を設けお祀りしたのが、当宮の始まりとされています。(境内説明文)

 雲陽誌には、「和賀布都努志命、高姫命(※別名 下照姫命)を合祭る、本社二間四方相殿二社、左素盞雄尊、右大己貴命、・・・随神門櫛石窓命くしいわまとのみこと豊岩窓命とよいわまとのみことなり」とあります。

 境内の「霊神社」は、雲陽誌に「新八幡 高ノ宮の東西に二社づつあり、社三尺四方なり、西二社は本宮山の城主大野次郎左衛門高直嫡男彦次郎高成、秋国一ノ助、二人の霊を祭る、東ノ二社は大垣亀畑山ノ城主大垣八郎左衛門秀清、嫡男只九郎義秀、二人ノ霊を祭るなり」とある神社のことではないだろうか。

 「出雲国風土記には宇知社とあり、もとは女心高野山(本宮山)の頂上にあったと記されています。約1200年前に現在の地に遷座したといわれ、一説には大野氏が築城の際のため移遷し、本宮山と改称したといいます。」(秋鹿公民館パンフレット)

 「高野宮阿内大明神は天正十年・・・には『足鷹大明神』、同十五年・・・『大野高宮』、以後も『足高大明神』、『鷹之宮』とみえ、現状において、『宇智社』の痕跡は確認できない。本駐論では『風土記』『宇智社』は佐太神社の摂社『宇智社』に継承されているとする。」(出雲国風土記註論)

 「『雲陽志』の秋鹿郡の宮内の項に佐陀大社があり、『末社八神玉垣の内本社左右にあり』とあり、そのあとに『宇智社 天兒屋命なり』とあるので、宇智社は佐太神社の境内摂社となったのであろう。―略― 比定社として、・・・内神社(高野宮)があるがそれは間違いであろう。『延喜式』の順序からして・・・佐太神社の周辺にあったのであろう。」(出雲神社探訪)  

 出雲風土記:宇智社うちのやしろ
 延喜式:内神社うちのじんじゃ
 主祭神:和加布都努志命わかふつぬしのみこと下照姫命したてるひめのみこと
 合祀:
 境内社:蘆原神社(素盞雄命、稲田姫命、大己貴命、少彦名命、思兼命、五十猛命)、稲荷神社(倉稲魂命)、三保神社(事代主命、三保津姫命、猿田彦命、木花開耶姫命、鈿女命、倉稲魂命)、霊神社(大垣亀畑山の城主の霊社、大野本宮山城主の霊社)

 所在地:松江市大垣町746
 訪問日:2021年2月14日


内神社一の鳥居

鳥居横に社名碑と小祠がある。龍神社鳥居から参道が北へ伸びる。

広域農道から細い道が北へ分かれる。竹林の中を通る。カーブの手前右へ踏み跡がある。

はっきりした径が上がっている。笹が多くなる。笹を抜けるとまた径がはっきりする。

また笹がある。笹を抜けると石段が上がっている。道路に上がると神社の石段がある。

道路下の石段を振り返る。

大正十年の石灯籠

土俵がある。社務所

手水舎神門をくぐる。

随神社 左随神社 右(横から)拝殿

扁額本殿右の境内社 蘆原神社

奥の境内社 稲荷神社社日碑

左の境内社 三保神社拝殿前右の境内社 霊神社社務所





松江の神社