佐太神社 |
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県道37号から佐太橋を渡ると、正面に鳥居があり、参道が続いています。大社造りの本殿が三殿並立しています。 出雲国風土記に「佐太大神社又は佐太御子」とあり、延喜式には「佐陀大社」とみえ、垂仁朝に初めて正殿を造営したという。清和天皇の貞観年中度々神階の奉授あり、式内社六社、風土記々載の社五社を末社とした。秋鹿郡神戸里は起請の荘園となった。・・・当国信仰の中心として出雲二宮と仰がれ「当国杵築大明神佐陀三社大明神」と称され、・・・明治四年佐陀神社と改め、・・・同十四年に現社名に改め、(神国島根) 「母儀人基社 神社境内南側の奥にある三笠山に続く石段を50メートルばかり登って行くと磐境があり、伊弉冉命を祀る母儀人基社があります。おそらくは、古代祭祀の対象であり、社殿創建以前の御神座ではないかと思われます。」(佐太神社HP) 「宇多貴社 ・・・因みに清原太兵衛の紀功碑の所在する地の小字は『宇多貴』であり、旧社地の可能性が大である」(出雲国風土記注論) 出雲風土記:佐太御子社
所在地:松江市鹿島町佐陀宮内72 |
県道から佐太橋を渡る。 | 鳥居から真っすぐ参道が伸びる。 | |
社名碑 | 文化十一年(1814)の石灯籠 | 橋を渡る。 |
橋を渡ると狛犬が構えている。 | 手水舎と随神門 | |
手水舎 | 随神門 | 拝殿 |
右側からの様子 | 北殿 | 南殿 |
右側の境内社 | 北末社 | 左側の境内 |
境内社 | 側面 | 境内社 南末社 |
南末社の後ろにある社日碑 | 拝殿前の石段左横の弓石 | |
直会殿 | 直会殿の後ろにある社務所 | 参道脇の石灯籠 この付近が宇多紀社跡地 |
母儀人基社 | ||
南末社の左奥から石段がある。 | ||
石段を上りきると平場がある。 | 石で丸く囲まれた中に数個の岩がある。 | 岩が祀られている。 |