大内神社 |
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旧国道に面して神社があります。 「近世の道は、北面していたこの神社の前を北へ迂回していた(「道程記」)が、・・・北の中海の方を向いていた神社を南面させて、道路を真直につけかえた」(島根県歴史の道調査報告書) 「今から460年近く前、中国地方の一大勢力であった大内義隆が尼子攻めに失敗。退却の際、義隆の養子でまだ20歳にもならない大内晴持は、不運にも揖屋灘で溺れ亡くなってしまいます。史書の多くが『揖屋灘溺死』を伝えていますが、地元揖屋では『吉儀惣右衛門という網元に救われ、あつく介護をうけたが、その甲斐なく亡くなった』との説が信じられています。敵方の大将であったその大内晴持をひそかに葬り、『御霊』をまつったのがこの大内神社です。」(境内説明文) 創立天文十二年(神国島根) 「大内権現 ・・・故に西揖屋往還の路頭に小社を造、権現と稱す。義房は一条関白房家公の次男義隆養育の嗣子なり」(雲陽誌) 揖屋から須田へ入る手前に大内晴持の墓があり、元家老の子孫によって祀られています。
出雲風土記:
所在地:松江市東出雲町揖屋 |
大内神社 | ||
狛犬は新しい。 | 拝殿 | 本殿 |
石像の小祠がある。 | 境内社 杉守神社 |
東出雲町揖屋から須田への道の途中に小さな祠があり、近くにおられた方に聞くと、「大内神社の本家で、大内晴持の墓を祀っている。私の家が大内家の家老杉家の末裔の小室で、代々お墓を守ってきた。以前は大きな木に囲まれていたが、周囲の邪魔になるので切ってしまったが、寂しくなった。」と言っておられました。 |
大内晴持の墓 | 地蔵堂も一緒に祀られている。 | |
天保十年の石灯籠 |