大内神社おおうちじんじゃ


 旧国道に面して神社があります。

 「近世の道は、北面していたこの神社の前を北へ迂回していた(「道程記」)が、・・・北の中海の方を向いていた神社を南面させて、道路を真直につけかえた」(島根県歴史の道調査報告書)

 「今から460年近く前、中国地方の一大勢力であった大内義隆が尼子攻めに失敗。退却の際、義隆の養子でまだ20歳にもならない大内晴持は、不運にも揖屋灘で溺れ亡くなってしまいます。史書の多くが『揖屋灘溺死』を伝えていますが、地元揖屋では『吉儀惣右衛門という網元に救われ、あつく介護をうけたが、その甲斐なく亡くなった』との説が信じられています。敵方の大将であったその大内晴持をひそかに葬り、『御霊』をまつったのがこの大内神社です。」(境内説明文)

 創立天文十二年(神国島根)

 「大内権現 ・・・故に西揖屋往還の路頭に小社を造、権現と稱す。義房は一条関白房家公の次男義隆養育の嗣子なり」(雲陽誌)

 揖屋から須田へ入る手前に大内晴持の墓があり、元家老の子孫によって祀られています。

 出雲風土記:
 主祭神:大内義房御霊
 合祀:
 境内社:杉守神社

 所在地:松江市東出雲町揖屋
 訪問日:2021年1月14日、2月22日


大内神社

狛犬は新しい。拝殿本殿

石像の小祠がある。境内社 杉守神社



 東出雲町揖屋から須田への道の途中に小さな祠があり、近くにおられた方に聞くと、「大内神社の本家で、大内晴持の墓を祀っている。私の家が大内家の家老杉家の末裔の小室で、代々お墓を守ってきた。以前は大きな木に囲まれていたが、周囲の邪魔になるので切ってしまったが、寂しくなった。」と言っておられました。

大内晴持の墓地蔵堂も一緒に祀られている。

天保十年の石灯籠




松江の神社