能利刀神社跡 |
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熊野大石の山裾の竹やぶの中に旧社地の標柱があります。明治41年に熊野大社の境内社に合祀されています。 「『式内社調査報告書』に、『もとは現熊野大社から約三キロメートル下流の字大石の西の山手にあったが、明治四十一年十月の神社整理の際、他の諸小社とともに熊野神社境内摂社伊邪那美神社に合祀した』とある。」(出雲神社探訪) 「宝暦十四年(1764)の『熊野村神社萬差出帳』で・・・『能利刀神社(大石、通称氏宮の地) 右の社大破仕、唯今ハ御宮無御座候。御神体ハ熊野大社下之宮之内ヘ遷置御座候。』」(八雲村誌) 「明治四十一年、村内各部落の氏神、小宮を上之宮に合祀し、四十二年十月十五日、上之宮三社の中央の宮の様式にもとづいて、下之宮現社地に『伊弉那美社』を造営し遷座祭が執行された。この時『伊弉那美神社』に合祀された村内各社は次のとおりである。・・・能利刀神社(大石)・・・」(八雲村誌)
出雲風土記:詔門社
所在地:松江市八雲町熊野3170-10 |
山裾の竹やぶの中にある。 | ||