御津神社 |
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鹿島町御津の県道37号と175号が交差する地点のすぐ南にあります。風土記の御津社は、海上にある御島にあった小島明神であり、今は現御津(本宮)神社に合祀されているようです。 「本社は出雲風土記所載の御津ノ社で往古より海上数町を距る小島の頂上に鎮座、社号を男島大明神弁財天宮と称えていた。中世、島の麓に社殿を移していたが、明治四年村社に列せられ、社号を御津神社と復旧した。明治四十一年本宮神社を当社に合祀し、四十三年十二月十三日神饌幣帛料供進社に指定され、四十五年社地を現在の字本宮に移遷した。」(鹿島町誌) 「いかなる由緒沿革をもつ社か詳細不明なるも出雲国風土記島根郡条に「御津社」と見えた御社にて、同条に、御津濱、廣二百八歩有百姓の家有、と記された村里の氏神(産土神)たり。海上沖 御島(風土記所載、三島とあり)に一社あり辯財天を祀る。」(神国島根) 「『御津社』を歴史的にたどる意味では、・・・正しくは『雲陽誌』がいう『小島大明神』とすべきであろう。その『小島大明神』は現在は御津(本宮)神社に合祀されている。」(出雲国風土記註論) 「本宮明神 伊弉冊尊なり、【風土記】に載る御津社なり」、「小島明神 濱より二町ばかり沖にあり、・・・市杵島姫命をまつる」(雲陽誌) 「現在も小島は御津漁港の沖にある。風土記の御津社は本来この小島明神であったが、明治時代に現在の御津神社である本宮明神に合祀したようである。」(出雲神社探訪)
出雲風土記:御津社
所在地:松江市鹿島町御津2911 |
手水舎 | ||
随神門 | 拝殿 | 扁額 |
本殿 | 右の境内 | 境内社 |
境内社 | 境内社 | 左の境内 |
左奥の境内社 | 境内社 | 荒神 |
境内社 |