大井神社おおいじんじゃ


 県道から七日市へ入り、才谷から山手に向かうと鳥居が見えます。
 参道の石段を上がった所に「大井神社舊跡」という石碑があります。一時期多久神社に合祀された時に、建てられたものと思われます。
 絶えず流れている手水鉢の水は隣の谷からパイプで導かれていました。南へ山を越えると上佐陀町の加茂志神社があります。

 「御当社大井神社は延喜式及出雲風土記等には秋鹿郡の部に搭載せられ給う神社なれども、同郡内には大井神社と称する神社なし。往古より御当社付近の田畑山林溜池等に至るまで皆字を大井ノ宮と称す、然るに当初名分は秋鹿郡に隣接し其の境界は古昔紛雑の地形にして佐太川開鑿の以前は秋鹿郡とも云うべき辺境なり。・・・是故に延喜式出雲風土記編纂の際地所の調査大略にして誤りあらむと伝えらる、この例八束郡佐太講武恵曇の各村界に多し。天平六年仝八年延享四年・・・の梁簡記録を伝え明治五年村社に列し合殿に小井神社を祭り其の勧請年暦合殿の由緒詳かならずと云えども、出雲風土記に載せられ給う所にして古今沿革なく明治五年無格の列に入り給う。・・・大正六年三月講武村大字南講武多久神社に合祀せられたるも、・・・昭和二十六年五月二日再興の式を挙げ奉る。」(神国島根)

 「この神社は大正年間に多久神社に合祀されたが、昭和26年に再興された。」(出雲神社探訪)

 雲陽誌には、「大井宮神社 大井神を祭る」とあります。

 「神社統合ははしなくも本村最大の問題となった。・・・ついに社号を多久神社と決定、・・・その合祀を完了するに至った。然るに大井神社は社格延喜式内の故を以って容易に多久神社へ合祀の許可なく・・・。偶々大正四年大正天皇御大典に当り・・・一応大井神社を多久神社の飛地境内神社として許可を受くる・・・。その後・・・大正六年五月九日を以って多久神社に合祀をみるに至った。」、「昭和二十六年多久神社遷宮にあたって、七日市部落より大井神社再興の要請が行われ、遂に同年十月十八日を以って之が再興をみるに至った。」(講武村誌)

 出雲風土記:小井社おいのやしろ
 延喜式:大井神社
 主祭神:大井ノ神おおいのかみ水罔象女神みずはのめのかみ
 配祀神:小井ノ神おいのかみ
 境内社:

 所在地:松江市鹿島町名分1242
 訪問日:2021年3月23日


石段を上がった所に石碑がある。「式内大井神社舊跡」と刻まれています。

一段高い所に社殿があります。明治二十八年の石灯籠

手水鉢拝殿

拝殿前の狛犬本殿

神楽殿境内の全景




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