熊野大社上の宮くまのたいしゃかみのみや


 熊野大社から意宇川沿いに南へ600mほど行った所にあります。
 明治時代に熊野大社に合祀された20社の跡地に、跡地を示す標柱が立てられいます。この標柱の位置図により、跡地を訪ねることができました。

 「熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り近世末まで「上の宮」「下の宮」(現在の熊野大社)の二社祭祀の形態をとりました。
 ここは「上の宮」跡で、伊邪那美いざなみ神社・事解男ことさか神社・速玉はやたま神社・五所ごしょ神社・八所はっしょ神社・久米くめ神社等がありました。背後の山は三笠山と言います。ここのそれぞれの神社の具体的築造年代は不詳でありますが、多くは中世、紀伊国の熊野信仰の全国的広がりの中で造営されたものと言われています。
 明治時代に至り当地の神社は、政府の神社制度の改正を機に熊野大社へ奉遷合祀されました。
 三笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
 また登山道途中には・洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りると言う御神水「妙見水」が巨石から滴り落ちています。」(境内案内説明文)

 「『雲陽誌』の意宇郡の熊野の項に熊野社があり、「【延喜式】【風土記】に熊野大社と書す、是すなはち速玉事解男伊弉冊三神をあわせまつりて上の社といふ、天照大神素盞嗚五男三女を合て十神をまつりて下の社とす、世人上の社を熊野三社といふ」とある。天狗山(熊野山)山頂は「元宮ヶ成」と呼ばれており磐座がある。ここが元宮で、その後麓の市場に移され、さらに現在の地に移された。明治39年、上の宮熊野三社は下の宮に移された。現在の熊野大社は下の宮である。上の宮には伊邪那美いざなみ神社に、事解男ことさかお神社、速玉はやたま神社、五所ごしょ社、八所はっしょ社の跡がある。この宮処を少し登ると久米くめ社の跡がある。さらに登ると天狗山の遥拝所がある。下の宮は「伊勢宮」と呼ばれた。現在の熊野大社の北方400mほどの所に古墳があるとされ、それが稲田姫の御陵とも伝えられている。」(出雲神社探訪)

 出雲風土記:熊野大社くまののおおやしろ
 延喜式:熊野坐神社名神大
 主祭神:
 境内社:

 所在地:松江市八雲町熊野2451
 訪問日:2021年3月15日


入口左の歳徳神

一段上に神社跡の標柱が並んでいる。事解男神社跡

伊邪那美神社跡速玉神社跡五所社跡

八所社跡裏山は巨岩の岩肌が迫っている。遥拝所へ向かう。

久米神社跡と妙見水狭く急傾斜の径を上がる。巨岩がある祓所

遙拝所熊野山(天狗山)が望まれる。




松江の神社