五十田神社 |
---|
古志町下古志の農道から佐陀川の西の道路を北へ350mほど行くと、道路に面して鳥居があります。 「磯田明神 経津主命、武甕槌神なり」(雲陽誌) 「当社はもと佐太水海の磯浜に鎮座されていたが洪水のため社殿は西の丘麓の大井垣に漂着したので、此処に大井神社と改称して奉斎。後更に現地五十田に移し磯浜神社と称するに至った。神典にある『五十田狭小汀』は此処なりとして五十田神社、五十田大明神と称えるようになった。」(神国島根) 「この社は、出雲国風土記に大井社、延喜式に大井神社と記された神社で、もとはこの地の東の佐太水海(現在は水田)の沖の大井の輪と言われる浜にあったが、洪水により社殿は西の丘麓の大井垣の輪に漂着し、大井神社と称し、後、更に現在地の磯田に移り磯田神社となったが、日本書紀に記されている大国主命との国譲りの際に武甕槌命・経津主命の両神が出雲の国の五十田狭の小汀に天降ったのは、ここなりとして両神を祀り、五十田神社と改称した。」(古江公民館パンフレット) 「現在の五十田神社の東南の水田中に字大井田が確認される。そこは古代は佐太水海の湖岸の地であったと想定される。伝承どおり水難を避け、現社地・磯田に遷されたのであろう。」(出雲国風土記注論)
出雲風土記:大井社
所在地:松江市古志町下古志1118 |
慶応の年が刻まれた石灯籠 | 拝殿 | |
扁額 | 本殿 | 右奥にある境内社 秋葉神社? |
荒神 横に半分埋まった石柱がある。 | ||
神楽殿 | 潟の内の北方に字「大井」がある。 | 字「大井」 |