富士名判官の社ふじなはんがんのやしろ


 玉湯町布志名の県道脇に富士名判官古墓入口という古い標柱があり、そこから南の小丘(判官山)へ向かって路地があります。路地の突き当りから石段を上り、頂上手前から左へ坂を下りると判官の古墓があります。坂道を下りた所に小さな建物があり、前へ周ってみると、中には社殿が納まっており、その前には狛犬も並んでいます。

 地区の方に話を聞くと、「神社ではなく、富士名判官公を祀っている。」とのことでした。詳細は不明です。

 「(富士名判官)義綱は、出雲国守護佐々木氏の系譜を引く。鎌倉時代末期から室町時代初期に活躍した布志名の地頭。鎌倉時代の末期、元弘の変で倒幕に失敗した後醍醐天皇は隠岐へ流された。警護のため派遣された義綱は、翻意をして、天皇の隠岐脱出を援助。その後も名和長年らとともに天皇に従う。建武の新政後、天皇に反旗をひるがえした足利尊氏方と各地で戦い、建武3年(1336)正月、京都での激戦で非業の死を遂げた。享年41才。」(案内看板より)

 出雲風土記:
 主祭神:富士名判官義綱公ふじなはんがんよしつなこう
 境内社:

 所在地:松江市玉湯町布志名
 訪問日:2021年6月6日


県道から南へ路地を入る。富士名判官古墓入口の古い標柱がある。

突き当りから石段がある。頂上手前から右へ下がる。

案内標識がある。斜面を下がる。小さな建物がある。

狛犬が並び雨覆の中にお宮がある。

風化した狛犬文政十一年の石灯籠

神社の前に古墓がある。神社の前からも参道が下がっている。古墓入口の西の道へ出てくる。




松江の神社