意宇郡の延喜式所載神社の掲載順


 風土記の神社の掲載順は地理的連続性はないといわれていますが、「延喜式順は延喜式神名帳に載せられている順序のことで、地域的(国司の参拝順)といわれている。」(出雲神社探訪)とあるので、松江市を中心とした意宇郡の延喜式所載神社の比定社を掲載順を示して地図に載せてみました。
 神社名の前の丸付き数字は神名帳の記載順番で、数字が複数あるものは同所の神社があるものです。比定されている神社を結んでみると、逆行するようなルートを示すものがありあます。

 ①熊野大社から始まり、北へ向かい、そして西へ回ってから東出雲、そして安来市方面へまわっています。
 ⑦布吾弥神社は玉湯町玉造の布吾弥神社が比定されますが、順番からは熊野大社境内社の伊邪那美神社に合祀されているものが考えられています。(出雲神社探訪)
 ⑳売布神社は普通、和多見町の売布神社が比定社ですが、玉湯と来待の間にあるべきで、宍道町鏡地区考えられています。(出雲神社探訪)
 また、㉟野城神社から次は佐久多神社で、宍道町上来待の佐久多神社が比定されています。しかし、これも次が伯太町の志保美神社になるので、順番からすると、広瀬町にあるものと思われ、広瀬町広瀬の嘉羅久利神社が考えられています。(Wikipedia)これは、次順に記されている同社坐韓國伊大氐神社の名前が訛って「嘉羅久利」となったと考えられています。
 ㊶意多伎神社の次の市原神社も東出雲町揖屋の市ノ原の神社が比定されていますが、これも順番からは、広瀬町あたりが考えられます。また、次の㊹由貴神社も馬潟町の神社が比定されていますが、その次が広瀬町の㊺勝日神社なので、広瀬町あたりにあったとも考えられています。
 参考:出雲国内の式内社一覧(Wikipedia)

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